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個人対象のデザイン受注・誕生秘話 PART1 [デザイン]


■父母を亡くしたことが契機
十数年前の夏、父は不養生がもとで田舎の地元の病院に入院した。その父を母がそばで看病すること約1年半余り、しかしその母は看病疲れのせいもあってか、突然クモ膜下出血で倒れ、父とは別の病院へ入院。二回の手術を施したかいもなく、2ヶ月後に死去。残された父は病院で療養を続け、その後京都の老年病院に転院。しかし3ヶ月が過ぎた、紫色のあじさいがよく映える梅雨の京都で父は84才の生涯を閉じた。私が42才になったばかりの時だった。

このような経緯であっという間に父母を無くしてから初めて、この二人の生きざまがどうであったのかが知りたくなる。生前この二人に生い立ちを訊ねたことは一度もなく、それを記したようなものなど無論ない。かろうじて親父が保管していた古い写真類は譲り受けていた。古いものでは、明治22年に撮影されたガラス板写真も。これらの写真には曾じいさんらが写るモノトーンやセピア調の結構昔のものがあり、この存在がルーツ探りの決めてになったのだ。

先ずは、まだ元気だった父の兄や、母の妹に会ったときや手紙で何度となく、写真を見せながら記憶にある限りのことを訊ねてみた。この伯父・伯母らは私の質問に一生懸命答えてくれたものだった。このことでお寺を訪ね過去帳を見せてもらったりも。できれば古い友人に辿り着ければと思ったが、それは叶わなかった。結果、おおよその足跡を掴み知ることができた。

その一つに、父の性は代々柴田を名乗っていたのだが、五人兄弟の次男だった父は爺さんの傍妻に養子に出され、別性を継がされる。そのことでの父の蟠りや無念さ、またその後の人生への影響を垣間見ることもできた。また、父は仕事を求めて朝鮮へ渡り、そこでの母との出会いや結婚、悠々自適な生活から一変、終戦、引揚げ、戦後のこと等々。自分の役目として、彼らの足跡を何か形にして残したいと感じたものだった。
【続く】


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いっぷく

写真が身近になった反面、このようにしっかりと残る家族の肖像を残す慣習もなくなりつつありますね。
一枚の写真からも様々なことが推測されるような重みのある記録として
受け継いだ家族ができる限り保存するものなのでしょうね。
by いっぷく (2007-10-26 22:28) 

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